INTRODUCTION
My grandmother, Luisella, vanished behind the Iron Curtain in 1945, and I grew up thinking she was dead. My father rather hoped that she was dead. Then suddenly here she was again. Luisella von Schönberg was fearless, an attribute inherited from her adventurous grandfather, Wolf Erich – a friend of Prince Albert and Queen Victoria. Wolf Erich had bought Conak, 8,000 hectares of wilderness in the Carpathian Mountains, sight unseen, in 1850. This spontaneous decision brought more tragedy than pleasure. Luisella loved Conak and her life there so much that she stubbornly resisted leaving it even when the Russians invaded, believing she was invincible. This decision led to her spending a decade behind the Iron Curtain, first as a servant living in a pigsty and then in a Gulag far from her beloved home. The unusually strong women in this story, ahead of their times, chose to live their lives as they wished and paid the price. Among them the famous Anna Constantia von Cosel, who was imprisoned for 49 years because of her love for Augustus the Strong, Ruler of Saxony and King of Poland. Historical events, wars, social etiquette, religion, prejudices, humour and lies are all part of the unique fabric woven from the lives in this fascinating and gripping family story.
日本の読者のための前書き
私の念願だった日本でベストセラーを出したい、という夢がこの私の5冊目の本によって新たに蘇ったのです。私はこれまでにシーナマコトさんの紹介で3冊の本を出版することができました。トモダチの翻訳家ゴトウクミコさんに感謝です。その他、スキーレーサーとしてのキャリアの本を1冊ドイツ語で、故郷オーストリアで出版していますが、これは私の祖母の波乱万丈の物語です。大地主であり(すなわちキャピタリスト)、囚人であり、愛人であり、そして母であり妻であった祖母。祖母の話は長い間、私の頭にあり、私は祖母の辿った人生を詳細に書き記してくれた母に、きっと本にすると約束していたのでした。
コロナの感染拡大で、書かない言い訳も尽き、また、ロシアによるウクライナ侵攻もあって、私の中の記憶が呼び覚まされたのでした。さらに幸運にもクミコさんにも翻訳する時間のゆとりできていて、私たち二人にとって「やるなら今しかない!!」という共通認識に至ったのでした。
「歴史は繰り返す」というのは、父が最も好んだ言い回し。なんと父は正しかったことでしょう。2022年、ロシアはウクライナに侵攻。その6年前には帰属するクリミア半島を奪取していたのですから。まさにその言葉が現実となったのです。
1945年、ロシア兵たちによって、ウクライナの西方、1500キロ続くカルパチア山系の中にある領地チョナックの家から祖母は追い出されたのでした。館はシンプルなログハウスでしたが、広々としていて8000ヘクタールもの手つかずの原生林の中にあったのです。ソ連による占領は1991年まで続き、54年の歳月を経て、西側諸国の圧力によってようやくウクライナの独立が承認されたのでした。しかしながら、ロシアの大統領は常に変わらず友人であると振舞っているのですが。
ロシア兵たちは紳士には程遠く残虐で、祖母の耳から真珠のイヤリングを、手首からは腕時計をもぎ取ったのでした。そして、館を立ち退き、新しい住まいを探すよう命じ、それはすなわち、外で凍え死ぬか、避難先を見つけるかの選択。この時、祖母の人生が男爵夫人から奴隷へと激変したのでした。
類まれな健康に恵まれた祖母は、不屈の精神と楽観的エネルギーで、決して過去を振り返らずあらゆる困難を乗り越えながら10年、西側世界とは完全に切り離
されたソ連の鉄のカーテンの向こう側に、姿を消したのです。私たちは祖母は死んだものと思っていました。
私が12歳の時、突如、モスクワから葉書が届き、祖母は生きていて、しかもウィーンに向かっているとのこと。この時まで、祖母の存在は私にとってゴーストのようなものだったので、思わずワクワクしてしまいました。
1955年、大戦後すでに10年、ソ連はオーストリア占領を終了することになり、残された戦争捕虜たちを解放することにしたのでした。ヴェルフェン駅で列車からヒョイと降り立ったのはすべての歯をなくした、農婦姿の老女。それが私の祖母でした。
祖母の体験を通じて、日本の皆さまにウクライナの歴史が身近になることを願っています。この広大な国が何世紀にも渡って、どれだけの多様な異なる人々、宗教、習慣、言語によってつくられて来たかを伝えたいと思います。私たち一族は3世代に渡り、この人種の混じりあう渦の一部だったのです。
世界は狭くなり、インターネットは秘密を解き明かしてはいるものの、日本の読者にとってウクライナはいまだに遠い外国。それはかつて私がロシアの船で初めて横浜に来日した頃の知識に似ているのかもしれません。私のスキーレーサーとしてのキャリアは怪我によって切り上げられはしたものの、ワクワクする冒険を渇望する気持ちを持ち続けていた私でした。月刊誌「スキージャーナル」に掲載する写真撮影のため、富士山でスキー、そのまま足を延ばして、スキーインストラクターとして働くためにオーストラリアに向かったのです。
私の家族は大勢の何千もの他の家族同様、すべてを失いましたが、ファイティング・スピリットと誇りだけは保持し続けたのです。この祖母の不屈のスピリットがウクライナの人々を触発し、その不屈のスピリットが失われることのないことを願っています。
最後にこの本をKindle本にしてくれたダンマユミには長年の友情と貢献に心から感謝したいと思います。
では、私の家族の物語をお楽しみください。
2024年10月1日
クリスティーナ・フォン・ディットフルト
Where history and real people come to life
About Christina Ditfurth

I was born in 1943 in Austria into an impoverished aristocratic Family. Through political circumstances, we were refugees in our own country, having lost everything. My brother and I grew up thinking our paternal grandmother had died somewhere in Russia. We lived in a small village surrounded by high mountains covered in snow. Skiing came naturally to me, and I became a member of the Austrian National Ski Team (1961–1967), which opened a window to the world for me. In 1968, I retired from ski racing and came to Australia as a ski instructor for the winter months. Back in Austria, I started a marketing career in the ski business promoting Tyrolia ski bindings, now known under the famous brand name of HEAD.
Eventually, my job took me to Japan, where we increased the market share dramatically, earning me the AMF Chairman’s Business Award in 1983 – the highest award given to a woman. After 17 years with AMF and Head, I started my own business “Christina Consulting Japan” which provided me with a number of roles: a Lecturer for Asahi, Shimbun’s Culture Seminars, giving advice on Western Elegance for ladies at Takashimaya’s Members Salon, a “Poster Girl” for White PIA Takasu Ski Resort. During this time I published three books in Japanese (only) covering lifestyle, business, and marriage. For 4 years, I was a Special Correspondent for Shinano Mainichi during the Nagano Olympics in 1998, and had a monthly column in Ski Graphic and MIL, a Ladies Magazine.
In Australia, I was a consultant for Haymen Island, establishing the Japanese tourist business, I promoted diving in the Barrier Reef and skiing in the Snowy Mountains. Sometime later, I returned to Head Tyrolia as a senior advisor for Japan. I published: “Die Welt ist meine Heimat” (The World is my Home) in 2006, a book about my ski racing career. My passion for writing never left me: “Here I am again” is the extraordinary story about my grandmothers’ life, which I published in English and Japanese. Besides my love for skiing and writing, I have a never ending interest in Japan. I am married and my husband and I live in Sydney. We have no children.
著者紹介
クリスティーナ・フォン・ディットフルト
私は1943年戦後の混乱期のオーストリアに貧しい貴族の家庭に生まれました。全てを失い、政治状況下、自国に住みながら身分は難民でした。
兄と私は父方の祖母はロシアのどこかで死んだと聞かされて育ちました。
育ったのは雪を頂く高い山々に囲まれた小さな村。スキーが身近にあり、やがてオーストリアのナショナル・スキーチームに選出され(1961~1967年)、スキーが世界への窓を開いたのです。1968年にスキー選手から引退。
1年の半分をオーストラリア、ペルシャ―バレーのスキーインストラクター、同時に母国オーストリアでは、スキービンディングのチロリア社でビジネスキャリアをスタート。日本市場マーケティング担当。現在、チロリア社は世界ブランドHEADの傘下に入っています。
<スキーキャリア>
1967年 オーストリア政府公認 A級トップスキーヤーの資格取得
1968年 グルノーブル冬季オリンピック オーストリアチームのアシスタントコーチ
1968年 ダウンヒル 銀メダリスト インスブルック世界学生選手権大会 スラローム混合の銅メダリスト
1983年 マーケットシェアを飛躍的に伸ばした功績でチロリアの親会社AMFから社長賞受賞 最高賞であり女性として初受賞の名誉
1998年 Tyrolia/HEADで17年働いた後
「クリスティーナ・コンサルティング・ジャパンCCJ」を設立
朝日新聞社の文化講演、女性向けエレガンス・セミナー開催
ホワイト・ピア・スキーリゾート
ヘイマン・アイランドのコンサルタント業務など
これまでに日本で3冊の本を出版:
「1000年目の男爵令嬢」 情報センター出版局 1989年 後藤久美子訳
「エレガンス倶楽部」 情報センター出版局 1991年 後藤久美子訳
「恋と計算」 三五館 1995年 後藤久美子訳
1993 年 John L. Stitt と結婚
1997~1998 年 一番チャレンジングな執筆活動経験として雑誌MILL にラ
イフスタイル連載
1998 年 長野冬季オリンピックで信濃毎日新聞の特約記者としてオリンピッ
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スキー雑誌「スキー・グラフィック」に連載記事を執筆
2006 年 自伝Die Welt ist meine Heimat (The World is my
Home)を出版
ロシア、カムチャッカ半島でのヘリコプタースキーなど、スキーは今でも最大
の情熱対象
シドニー在住